僕の、初フルマラソン ~2012ちばアクアラインマラソン [ちばアクアラインマラソン]
東京マラソンの市民ランナーの部のテレビ放送を見ていて、ふと自分の初フルを思い出した。
僕は初フルで完走した人を無条件ですごいと思う。
何故なら、このブログでも少しだけ触れているが、僕の初フルはいわゆる「DNF」だ。
Do not finishですよ。
これ結構驚かれる。でも当時の僕からしたら当然の結果に思えたし、でも心の中ではどこかでリベンジを誓っていた。
ちょっと懐かしく振りかえってみたいと思う。
当時僕は1月に松戸七草マラソン10km(50分で完走したが最後歩いた)、2月にベジタブルマラソンハーフ(最後の5kmは歩きまくり1時間50分くらいで完走)、5月にチャレンジ皇居30K(途中でランナーズ二ー爆発で25kmでやめた)と出場し、運よく二次抽選で当選したアクアラインマラソンに出場出来ることとなった。
当時、とにかく走ると膝が痛かった。
大会に出る→一か月走れない。
これの無限ループ。
アクアラインマラソンの直前にも流山ロードレースに出たが、膝が痛い。
ネットで調べると明らかにランナーズ二ーの症状だった。
しかも僕は元々テニス時代から足をつる、怪我をしやすいいわゆる「スぺ体質」だった。
とはいえ、今まで社会人になってもテニスは大会に出たりしてたし、ハーフなら二時間切れたし、なんとかなるんじゃね?というのが僕の心中だった。
・・・・そして当日を迎える。
当日は初開催ということもあり、すごい盛り上がり。
また僕たち夫婦も初フル、初の大規模大会ということではしゃいでいた。
監獄のKブロックは号砲から25分経過した頃にスタートラインを越え、どんどん進んでいく。
すげぇ大規模大会!すげー人!!・・・・そんなテンションで進んでいく。
アクアラインを越えて、ハーフを通過した頃から、いや、正確に言うと海ほたるくらいから膝が痛い。
木更津アウトレットの前を通過する頃には足まで攣り始めた。
しかも暑い。暑い。ボーっとする。
それでもグズグズで30km当たりまできた所で僕はこともあろうか、道端で大の字になってしまった(駐車場みたいな所で戦意喪失したらしいランナーさんがみんな横たわっていた)。
何分横になっていただろうか。先行した奥さんはどこまで行ったのか。
それにしてもやる気が出ない。足は少し歩いただけで攣るし、痛い。
足の裏も痛い。暑い。
そもそもフルなんて無理なんだ俺には。
30kmも走ってないし。
・・・・・書いていて恥ずかしくなるくらい、ネガティブになっていた。
みんな歩いているし、もう僕も走れない。
そんなこんなで何キロ歩いたり、走ったりを繰り返していたら、気がついたら「関門がやばい」という声が聞こえてくる。
それが聞こえても踏ん張れないくらい、もう折れていた。
そして関門は閉鎖され、君津学園で収容バスに乗り、完走メダルを掛けた奥さんとゴールの所で再会する。
奥さんと何を話したかは覚えていないが、リタイア後覚えていることとして、収容バスの中での会話がある。
それは「エイドの飲み物が足りてなかった」「給食が足りない」「気温が高い」「アップダウンがきつい」・・・・などと言っている人が多くいたが、僕は自分の完走出来なかった要因はそんな外的なものというより、自分の内的な弱さ、そして心と体の準備不足だと思った。
そしてこの大会の完走率は後日知ったのだが低かった。
それでも僕は完走出来ない要因は自分にあると思った。
僕は、スポーツにしろ(人知れず限りない反復練習によってテニスはまともに打てるようになった)、勉強にしろ(鬼のように要領が悪い。とにかく量をこなしてかないと結果は散々だった)、ボーリングにしろ、釣りにしろ、ファミコンにしろ、ストⅡにしろ、やったこと以上のことは出来ない。
テニスにしろ、何にしろ、センスとかそういった物とは無縁。
気持ちも弱い。
気持ちの弱さを跳ね返す気合いと反復練習によって何とかしてきた。
今回、それが僕には足りていない。
だから、フルマラソンも完走したければ、「やるしかない」。
この時に「いつか」のリベンジを誓い、楽しい思い出とかなりのほろ苦い思い出を胸に木更津を後にする。
これが、僕の初フルマラソンの思い出。
ここから、マラソンにおける自己分析をし、一年後のリベンジに向けて動き始める。
それについてはまた後日。
僕は初フルで完走した人を無条件ですごいと思う。
何故なら、このブログでも少しだけ触れているが、僕の初フルはいわゆる「DNF」だ。
Do not finishですよ。
これ結構驚かれる。でも当時の僕からしたら当然の結果に思えたし、でも心の中ではどこかでリベンジを誓っていた。
ちょっと懐かしく振りかえってみたいと思う。
当時僕は1月に松戸七草マラソン10km(50分で完走したが最後歩いた)、2月にベジタブルマラソンハーフ(最後の5kmは歩きまくり1時間50分くらいで完走)、5月にチャレンジ皇居30K(途中でランナーズ二ー爆発で25kmでやめた)と出場し、運よく二次抽選で当選したアクアラインマラソンに出場出来ることとなった。
当時、とにかく走ると膝が痛かった。
大会に出る→一か月走れない。
これの無限ループ。
アクアラインマラソンの直前にも流山ロードレースに出たが、膝が痛い。
ネットで調べると明らかにランナーズ二ーの症状だった。
しかも僕は元々テニス時代から足をつる、怪我をしやすいいわゆる「スぺ体質」だった。
とはいえ、今まで社会人になってもテニスは大会に出たりしてたし、ハーフなら二時間切れたし、なんとかなるんじゃね?というのが僕の心中だった。
・・・・そして当日を迎える。
当日は初開催ということもあり、すごい盛り上がり。
また僕たち夫婦も初フル、初の大規模大会ということではしゃいでいた。
監獄のKブロックは号砲から25分経過した頃にスタートラインを越え、どんどん進んでいく。
すげぇ大規模大会!すげー人!!・・・・そんなテンションで進んでいく。
アクアラインを越えて、ハーフを通過した頃から、いや、正確に言うと海ほたるくらいから膝が痛い。
木更津アウトレットの前を通過する頃には足まで攣り始めた。
しかも暑い。暑い。ボーっとする。
それでもグズグズで30km当たりまできた所で僕はこともあろうか、道端で大の字になってしまった(駐車場みたいな所で戦意喪失したらしいランナーさんがみんな横たわっていた)。
何分横になっていただろうか。先行した奥さんはどこまで行ったのか。
それにしてもやる気が出ない。足は少し歩いただけで攣るし、痛い。
足の裏も痛い。暑い。
そもそもフルなんて無理なんだ俺には。
30kmも走ってないし。
・・・・・書いていて恥ずかしくなるくらい、ネガティブになっていた。
みんな歩いているし、もう僕も走れない。
そんなこんなで何キロ歩いたり、走ったりを繰り返していたら、気がついたら「関門がやばい」という声が聞こえてくる。
それが聞こえても踏ん張れないくらい、もう折れていた。
そして関門は閉鎖され、君津学園で収容バスに乗り、完走メダルを掛けた奥さんとゴールの所で再会する。
奥さんと何を話したかは覚えていないが、リタイア後覚えていることとして、収容バスの中での会話がある。
それは「エイドの飲み物が足りてなかった」「給食が足りない」「気温が高い」「アップダウンがきつい」・・・・などと言っている人が多くいたが、僕は自分の完走出来なかった要因はそんな外的なものというより、自分の内的な弱さ、そして心と体の準備不足だと思った。
そしてこの大会の完走率は後日知ったのだが低かった。
それでも僕は完走出来ない要因は自分にあると思った。
僕は、スポーツにしろ(人知れず限りない反復練習によってテニスはまともに打てるようになった)、勉強にしろ(鬼のように要領が悪い。とにかく量をこなしてかないと結果は散々だった)、ボーリングにしろ、釣りにしろ、ファミコンにしろ、ストⅡにしろ、やったこと以上のことは出来ない。
テニスにしろ、何にしろ、センスとかそういった物とは無縁。
気持ちも弱い。
気持ちの弱さを跳ね返す気合いと反復練習によって何とかしてきた。
今回、それが僕には足りていない。
だから、フルマラソンも完走したければ、「やるしかない」。
この時に「いつか」のリベンジを誓い、楽しい思い出とかなりのほろ苦い思い出を胸に木更津を後にする。
これが、僕の初フルマラソンの思い出。
ここから、マラソンにおける自己分析をし、一年後のリベンジに向けて動き始める。
それについてはまた後日。
2016-03-01 15:02
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